熊野古道ってなぁに? | はじめての熊野古道 なかへち 熊野古道ってなぁに?

熊野古道ってなんでしょうか?調べてみると、歴史のことが色々と出てきてわかりにくいなと感じてしまうかもしれません。はじめての人でもわかりやすいように、熊野古道を解説してみました。

ちょっと寄り道展望台から見下ろす熊野本宮大社旧社地。今は大きな鳥居が立っています。

なんの変哲もない山道なのに、世界中から人が来る!?

熊野古道のことを知らずに来た方は、なんの変哲もない道だと感じるかもしれません。その通り、歩いてみると日本全国どこにでもあるような山道です。歴史を感じられるようなスポットはあるものの、見た目に派手なもの、すごいものは少ないと感じるでしょう。なのに、世界中から数多くの人たちが熊野を目指して歩きます。理由は何なんでしょうか?

実はすごく長い熊野古道。

熊野古道は、全長1,000km。なんと和歌山、三重、奈良、大阪、京都にまたがっています。「熊野古道に行ってみたい!」といっても、どこに行くのか簡単に決めるのは難しいですね。

京都・吉野・高野山・伊勢の各地から、熊野本宮大社・熊野那智大社・熊野速玉大社の三山に向かう巡礼道の総称が「熊野古道」です。 1本の道ではなく、大きく分けて6本の道に別れています。

それらの道はそれぞれ、
・伊勢からの伊勢路(いせじ)
・吉野からの大峯奥駆道(おおみねおくがけどう)
・京都から田辺までの紀伊路(きいじ)
・高野山からの小辺路(こへじ)
・田辺から熊野三山の中辺路(なかへち)
・田辺から海沿いルートで熊野三山を目指した大辺路(おおへじ

と呼ばれています。 全てが世界遺産に登録されているわけではなく、熊野古道のうち、200kmが世界遺産に登録されています。

異彩で険しい自然の向こうに神様がいたから!?

いろんなところから、熊野に向かったんですね。でもどうして、各地から熊野を目指したのでしょうか?

1400万年前の紀伊半島で火山が噴火しました。日本列島の歴史においても最大級の噴火だったと言われています。阿蘇山の噴火が9万年前ですので、その年月の長さは計り知れませんね。地形は風化してわかりにくくなっていますが、和歌山県の有名な景勝地である那智の滝、新宮のごとびき岩、古座の一枚岩、串本の橋杭岩は、噴火した溶岩が固まった跡です。

大きな噴火により出来た奇岩や滝などの地形は、古代の人々から見ると、神々がいる場所を阻んでいたように見えたことでしょう。人の力ではどうすることもできない大きな力に、神秘性を感じ、自然に対する畏敬の念を持ちました。それが熊野の自然信仰の始まりです。

「熊野」の「クマ」には、「奥まったところ」「隅の方」また、「神」「影」などの意味があります。「神様がいる奥まったところ」として、聖地熊野が誕生し、そして人々は神々の近くで蘇ることを望んで歩いたのです。

中辺路ルートにも大きな岩があり、それにまつわる逸話が残っています。

今でもそれが残っているということがスゴイ。

偉大で険しい自然は修験者たちの修行の場となりました。そして平安時代になると皇族や貴族がこぞって、熊野詣を行うようになりました。当時は医療や科学の力もありませんから、今とは違い、辛い修行を乗り越えることの先に平穏があると信じられていたのかもしれません。

そして江戸時代に入ると、それは庶民にも広がりました。「伊勢へ七度(ななたび)熊野へ三度(さんたび)」という言葉が残るほど、庶民が訪れたい場所となり、連なって歩く様子が「蟻の熊野詣」と言われるほど多くの人が歩きました。

こうして長い時間をかけて、数え切れないほど多くの人たちが歩いた道だからこそ、現在にも残っています。「古代から続いている巡礼道」であることも熊野の一つの魅力です。

数えきれない人々が、今のように交通機関も整っていない、食事もままならない中でどのように歩いたのか想像して歩くのも熊野古道の醍醐味。

世界が賞賛する「ごちゃ混ぜの精神」の中心地。

お正月には神様にお参りし、クリスマスの日にはケーキを食べ、お先祖様の供養はお寺に行きますよね。日本人はいろいろな宗教を柔軟に受け入れることができています。私たちには当たり前のことなのですが、世界では考えにくいことだそう。

熊野は1200年以上もはるか昔から、詣でる全ての人を受け入れてきました。昔は女性や病気の人などは「穢れ(けがれ)」だとして、特定の場所には入れないこともよくありましたが、熊野は全くその差別がありませんでした。

さらに、異なる宗教でさえ認め合い、紀伊という小さな場所に「熊野」「吉野」「高野」「伊勢」という4つの聖地が共存しています。その原点が「熊野」です。日本人がもつ「ごちゃ混ぜの精神」の原点が熊野にはあり、これは日本人の多様への受容を世界に示す象徴的な場所なのです。

ごちゃ混ぜの精神が認められ、世界遺産に。

2004年、熊野古道は「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界文化遺産に登録されました。それはごちゃ混ぜの精神があったからです。

珍しい眺望や建造物ではなく、古代から続く、全ての人を受け入れ共に生きる精神、そして、それらを育んだ熊野の自然や人々の営みが、世界遺産の目指す「世界平和」の精神と共鳴しました。「ダイバーシティ&インクルージョン」が大切だと言われる現代では、その精神をリードする場所なのです。

昔の人は「蘇り」を求めて、川を下り、山を超え、1ヶ月かけて歩きました。京都と熊野三山の間、往復600kmの道のりを歩いたと言われています。今は交通機関が発達し、気軽に旅をすることができるようになりました。

マインドフルネスの旅も良し。写真を楽しむもよし。グループでワイワイ楽しむもよし。どんな人でも受け入れる熊野です。もちろんマナーは守りながら、自分なりの熊野古道の楽しみ方ををぜひ見つけてください。

世界遺産とは?

地球の生成と人類の歴史によって生み出され、過去から現在へと引き継がれてきたかけがえのない宝物を後世に残していくための認定制度です。UNESCO(ユネスコ・国際連合教育科学文化機関)が認定しています。日本では現在25件の遺産が登録されています。